国家の継続性、政府の承継、そして「中国」問題:中華人民共和国の台頭に関する法的・歴史的分析
序論:創造ではなく、承継を巡る問題
本稿が取り組む問い、すなわち現在の中国(中華人民共和国)が抗日戦争に勝利した中華民国からその地位を正式に引き継いだのかという問題は、国際法における国家の創造に関するものではない。その核心は、1949年以前から存在する「中国」という国家の正統な
政府 が、中華人民共和国(PRC)と中華民国(ROC)のいずれであるかという、暴力的かつ未解決の対立にある。利用者が提示したロシアとソビエト連邦の関係という類推は、本件の分析の出発点として示唆に富むものであり、国家の継続性という中心的な概念を浮き彫りにする。しかし、中華人民共和国が「中国」の国際的地位を掌握した過程は、交渉による正式な引き渡しによるものではなく、中国大陸における内戦の軍事的勝利 と、その後に続く数十年にわたる国際的な承認を求める外交闘争の末に達成されたものである 。本報告書は、この過程を国際法の厳密な枠組みを用いて分析・解説する。
第1部 国際法における国家と政府の変動に関する法的枠組み
法人格としての国家
国際法上の議論の基礎として、まず「国家」の定義を確立する必要がある。1933年のモンテビデオ条約に示された基準によれば、国家は恒久的な住民、明確な領域、政府、そして他国と関係を取り結ぶ能力という4つの要件を満たす政治的実体として定義される 。この定義は、以降の分析における語彙の基礎となる。
国家承継と政府承継:決定的な相違
本報告書の理論的な核心は、「国家承継」と「政府承継」という二つの概念の区別にある。
政府承継(Succession of Government): これは、選挙、革命、あるいはクーデターなどによって国家の統治権力が交代するが、国家自体の法人格や法的アイデンティティは維持される場合に発生する 。この場合、条約や債務といった国際的な義務は、権力を握る者が誰であるかにかかわらず、原則としてその国家に引き継がれる。変動は国家の内部的な事象と見なされる。
国家承継(State Succession): これはより根本的な変動であり、ある国家が別の国家に取って代わられ、領域に対する責任を負うことで、国際的な法人格そのものが変化する。チェコスロバキアの解体、パキスタンからのバングladeshの分離独立、あるいは国家の併合などがこれに該当する 。この場合、新しく誕生した承継国は、条約義務に関して「白紙の状態(クリーン・スレート)」原則を適用することがある 。
1949年の中国における出来事は、革命に起因する
政府承継 の事例であり、国家承継ではない。国連の原加盟国であった「中国」という国家は存続し続け、その正統な政府がどちらであるかを巡って争われたのである。
国際法における承認の役割
国家や政府の変動において、「承認」は極めて重要な役割を果たす。承認に関する主要な理論には二つ存在する。
創設的効果説 は、他国からの承認によってはじめて国家としての地位が創設されると主張する。対照的に、現代の支配的な見解である
宣言的効果説 は、国家が客観的な基準を満たせばその時点で国家として存在し、他国による承認はその事実を政治的に確認する行為に過ぎないと考える 。
宣言的効果説が優勢であるにもかかわらず、承認という政治的行為は絶大な実際的影響力を持つ。承認は、外交関係の樹立、主権免除の享受、そして最も重要なことに、国連のような国際機関で国家を代表する能力を付与するからである 。この文脈において、1971年の国連総会決議は、既存の国家「中国」の新たな
政府 を国際社会が集合的に承認する行為であったと解釈できる。したがって、1949年から1971年までの22年間にわたる国連での「中国」を巡る外交紛争は、新たな加盟国を承認するかの議論ではなく、既存の議席を占める資格を持つ代表団はどちらかという、長期にわたる資格審査闘争であった。この法的区別はしばしば見過ごされるが、本件を理解する上で不可欠である。
第2部 国共内戦の未解決の終結(1945年~1949年)
2.1. 中華民国:戦勝国、創設国、そして主権国家
1945年時点における中華民国の国際的地位は、議論の余地なく確立されていた。第二次世界大戦の主要な戦勝国の一つとして、国連憲章の原署名国となり、安全保障理事会の5つの常任理事国の一つという特別な地位を占めていた 。これが、その後の全ての変動を測定するための法的な基準点となる。
2.2. 抗日戦争における役割分担と歴史的ナラティブ
中華人民共和国が今日主張する「戦勝国」としての地位を理解する上で、その前史である抗日戦争(日中戦争、1937-1945)における国民党と共産党の役割分担を正確に把握することが不可欠である。
戦闘の主体であった国民党: 抗日戦争中、日本の侵略に対する戦闘の矢面に立ったのは、当時の正統政府であった国民党の軍隊であった。国民党軍は、上海や武漢といった主要都市での大規模な防衛戦など、伝統的な正面戦闘の大部分を担い、300万人を超える甚大な人的損害を被った 。
勢力温存に努めた共産党: 一方、毛沢東率いる共産党軍は、国民党との「第二次国共合作」という統一戦線を名目としつつも、日本軍との大規模な直接戦闘は概して避けた 。その戦略は、日本軍占領下の後背地でゲリラ戦を展開しつつ、自らの支配地域を拡大し、戦後の国民党との対決に備えて軍事力を温存することに重点が置かれていた。
戦後のパワーバランスへの影響: 結果として、8年間にわたる戦争は国民党政府の財政と軍事力を著しく消耗させた。終戦時、兵力では国民党軍が約300万人、共産党軍が約100万人と依然として差はあったものの、国民党の疲弊は明らかであった。この状況が、その後の国共内戦で共産党が勝利する重要な要因の一つとなった。
歴史的ナラティブの構築: 中華人民共和国建国後、中国共産党は自らの統治の正当性を強化するため、「抗日戦争は共産党が主導して勝利した」という歴史的ナラティブを構築した。この物語は、国民党の貢献を意図的に軽視するものであり、多くの国外の識者からは歴史の歪曲であるとの批判を受けている 。この「作られた歴史観」は、今日の中国の愛国主義教育の根幹をなし、対外的な主張の正当化にも利用されている。
2.3. 同盟から全面戦争へ
日本の降伏後、国共間の協力関係は崩壊し、中国は再び内戦状態に突入した。毛沢東率いる共産党軍は、土地改革などを通じて農民の広範な支持を獲得し 、軍事戦略においても国民党軍を圧倒した。1949年10月1日、毛沢東は北京で中華人民共和国の建国を宣言した 。
2.4. 政府の台湾への移転
ここで決定的に重要なのは、蔣介石率いる中華民国政府が降伏も解散もしなかったという事実である。政府は1949年12月、その所在地を台湾の台北へ移転し、中華民国政府として存続し続けた 。この移転に際し、政府は金準備や故宮博物院の文化財といった国家の重要資産も台湾へ運び込んだ 。この「解散」ではなく「移転」という行為が、「二つの政府、一つの中国」という永続的なジレンマを生み出した。中華民国は、その実効支配領域が大幅に縮小されたものの、国家実体として存続し続けたのである 。
この一連の過程において、国共内戦が平和条約や降伏文書といった正式な法的文書によって終結したわけではないという点が極めて重要である。内戦の終結は、法的な合意ではなく、軍事的な現実によってもたらされた。これにより、国際法と国際外交が解釈を迫られる事実上の膠着状態が生まれた。中華人民共和国の正統性は大陸における軍事的勝利と実効支配に、中華民国の正統性は歴史的継続性と台湾における領土支配に、それぞれ根拠を置くことになった。この法的な終結の欠如こそが、70年以上にわたる地政学的緊張と法的曖E昧さの直接的な原因なのである。
第3部 承認を巡る戦い:冷戦下の「中国」(1949年~1971年)
二分された世界
中華人民共和国の建国直後、世界はその承認を巡って二分された。ソビエト連邦を中心とする東側諸国や、インドのような一部の非同盟諸国は速やかに中華人民共和国を承認した 。一方、米国とその同盟国は、台湾の中華民国政府を全中国の唯一の正統な政府として承認し続けた 。
米国の政策と中華民国の防衛
米国の中華民国への支持は、単なる象徴的なものではなかった。それはアジアにおける共産主義の拡大を阻止するための冷戦戦略、すなわち「封じ込め政策」の礎であった 。米国は中華民国政府に大規模な経済的・軍事的援助を提供し、朝鮮戦争の勃発後には台湾海峡に第七艦隊を派遣して中華人民共和国による侵攻を物理的に阻止した 。この軍事的保護が、中華民国の存続にとって不可欠であったことは言うまでもない。
国連における数十年にわたる膠着状態
外交戦の主戦場は、国連における「中国代表権」問題であった。当初、ソ連は中華民国が議席を占め続けていることに抗議し、安全保障理事会をボイコットした 。
米国は、中華人民共和国の議席獲得を阻止するため、「重要問題」方式という外交戦略を巧みに用いた。これは、中国の代表権変更に関するいかなる提案も、国連憲章上の「重要問題」と指定することで、採択に必要な賛成票を単純多数から3分の2多数に引き上げるというものであった 。
しかし、この戦略の有効性は時間とともに薄れていった。1960年代、脱植民地化の波によってアフリカを中心に多数の新興独立国が国連に加盟した。これらの国々の多くは、中華人民共和国の革命的ナラティブに共感し、西側と連携する中華民国に批判的であった 。その結果、中華人民共和国を支持する票は年々増加し、1970年にはついに、中華人民共和国の議席獲得を求めるアルバニア提案の決議案(通称「アルバニア決議」)が、初めて単純多数の賛成票を獲得するに至った 。これは、米国の戦略がもはや崩壊寸前であることを示す明確な兆候であった。国連における票の推移は、第二次世界大戦後の世界秩序から脱植民地後の世界秩序へと、世界のパワーバランスが変化していく様を如実に反映していた。中国代表権問題は、西側先進国に対する開発途上国(グローバル・サウス)の発言権拡大をかけた代理戦争の様相を呈していたのである。
第4部 転換点:国連総会決議2758号
地政学的再編:「ニクソン・ショック」
最終的な変化をもたらした決定的な触媒は、米国自身の劇的な政策転換であった。深刻な中ソ対立を背景に、リチャード・ニクソン大統領はソ連に対する牽制力を得るため、中華人民共和国との関係改善を模索した 。1971年7月のヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官による極秘の北京訪問と、それに続くニクソン大統領自身の訪中計画の発表は、世界に衝撃を与えた(ニクソン・ショック) 。この米国の動きは、中華人民共和国を孤立させる地政学的な根拠を事実上取り除き、他国が国連での投票行動を変更することを政治的に容易にした 。
1971年の最終投票
米国は、完全な敗北を避けるための最後の試みとして、それまでの反対政策を放棄し、「二重代表制」案を提唱した。これは、中華人民共和国を国連(安保理常任理事国を含む)に議席を与える一方で、中華民国にも総会の議席を維持させるというものだった 。しかし、この提案は成功の見込みがなかった。なぜなら、中華人民共和国と中華民国の双方が、「二つの中国」や「一つの中国、一つの台湾」といったいかなる解決策も断固として拒否し、それぞれが唯一の正統政府であると主張していたからである 。
1971年10月25日、国連総会はまず、米国の「重要問題」指定決議案を採決に付した。この動議は賛成55、反対59で否決された 。この手続き上の敗北が、本質的な問題に関する単純多数決への道を開いた。
総会は次に、アルバニアなどが提出した決議案2758号(アルバニア決議)の採決を行った。結果は賛成76、反対35、棄権17という圧倒的多数での可決であった 。この敗北を予期した中華民国の代表は、最終投票の直前にこれ以上総会の審議には参加しないと宣言し、議場から退場した 。
決議2758号の解剖:その内容と限界
この決議の文言こそが、法的な問題の核心である。決議は明確に次のように述べている。「中華人民共和国のすべての権利を回復し、その政府の代表が国連における中国の唯一の合法的な代表であることを承認し、もって蔣介石の代表を、彼らが国連とすべての関連組織において不法に占拠する場所から直ちに追放することを決定する」 。
決議が定めたこと: この決議は代表権 の問題を解決した。すなわち、国連加盟国である「中国」を代表する唯一の政府は中華人民共和国政府であると認定した。これは代表団の資格に関する決定である。
決議が触れなかったこと: この決議は「台湾」という言葉に一切言及していない。台湾の政治的地位、その主権、あるいは領土の帰属について、いかなる声明も行っていない。決議が追放したのは、国家実体や領土ではなく、特定の政権を指す「蔣介石の代表」である 。
決議2758号のこの特定の文言は、台湾の主権という複雑で爆発的な法的問題を裁定することなく、代表権という当面の政治問題を解決するために意図的に構築された外交的産物であった。当時の国連加盟国の間には、中華人民共和国の台湾に対する領有権主張を公式に支持することに躊躇する国も多く、決議案は、中華人民共和国の主要な目的(議席獲得と中華民国の追放)を達成しつつも、台湾の領土的地位を明言しないことで、より広範な支持を得ることができた。「蔣介石の代表」という表現は、ある政府の正統性を否定しつつも、その政府が統治する領土や国家の地位について判断を留保するという、巧みな外交的表現であった。この意図的な曖昧さこそが、現代においてこの決議の解釈を巡る継続的な論争の直接的な源泉となっている。中華人民共和国はこの決議を台湾の主権を含むものと広く解釈する一方 、米国などはこれを純粋に代表権に関するものと狭く解釈している 。
第5部 結論:政治的承認によって正当化された革命による政府承継
法的枠組みの適用
本報告書の分析を総合すると、「中国」の国連議席が中華民国から中華人民共和国へ移行した事象は、国際法上、革命に伴う
政府承継 の典型例として位置づけられる。「中国」という法人格を持つ国連加盟国は存続し続け、国連の行動は、新たな政府がその国家を実効的に支配しており、したがってそれを代表する資格があると承認したものであった。
正式な引き渡しの不在
中華民国から中華人民共和国への権力の移行は、正式、平和的、あるいは交渉によるものでは全くなかった。この点を明確に結論づける。中華人民共和国の権威は、内戦における勝利と中国大陸における実効支配の確立に由来するものであり 、中華民国がその主張や権威を譲渡したことは一度もない。
国際的「承認」の性質
この過程における「国際的な承認」とは、司法的な判断ではなく、国連加盟国の多数による政治的な決定であった。決議2758号は、中華人民共和国政府が中国の人口と領土の圧倒的大部分を統治しているという地政学的な現実を反映した、事実上の(
de jure )承認という集合的行為であった 。それは、台北の政府が全中国を代表しているというフィクションに終止符を打つための、現実主義的な選択であった。
永続する遺産
本報告書は、この特異なプロセス、すなわち代表権に限定された国連決議によって正当化された政府承継こそが、今日の台湾が置かれた独特かつ不安定な地位の直接的な原因であると結論する。国際社会は、中華民国の代表を追放する一方で、彼らが統治する領域の主権問題には触れないことで、一つの問題を解決し、別の問題を未解決のまま残した。これにより、今日まで続く複雑な地政学的状況が創出されたのである 。したがって、中華人民共和国による承継は不完全なものであった。それは「中国」という国家の代表権を獲得したものの、対立する政府と、その政府が実効支配を続ける領域の地位を解決するには至らなかったのである。
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